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2012年 01月 13日
2012年も明けましたが、災害のない穏やかな年になってほしいものです。 新年早々、鳥取・大山の実家に帰省して来ました。 幸い高齢の両親特に父も体調万全と言えませんが、 落ち着いた感じで新年を迎えていました。 《 米子市方向から見た大山 》 ![]() この日はい天気 米子市方向から見る大山はきれいでした。 実家側から見る荒々しい表情とは大違いです。 このきれいな姿は伯耆富士と呼ばれています。 ![]() 今の積雪は約30㎝ 年末からの積雪で、最大で約80㎝ほど積もりました。 野菜もすっかり雪の中です。白菜、キャベツ、大根など… でも雪の中から掘り出した野菜は甘いですね。 ![]() ![]() ![]() 2月末まで、雪が積もったり、溶けたりの日々です。 畑仕事もしばらく休業状態でしょうか。 両親も暖かくなるまで、冬眠状態ですね。 食べ物や暖房・給湯用の灯油が無くなりそうになる度に 帰省して、両親の体調を見たり、買い物に出掛けて 生活環境の維持に努めています。 雪の降る間、伊丹から大山への移動手段は高速バスか、鉄道ですね。 札幌で使っていた冬タイヤは処分しましたので、ノーマルタイヤの 車は安全を考慮し、お休みです。 今回は大阪・梅田から米子駅前までの高速バス 米子駅から大山口駅までJR 大山口駅から実家までタクシー ちょっと不便ですが、安全第一の帰省です。 3月くらいには雪も穏やかになり、車で帰れるでしょう。 今年も、伊丹の自宅と大山の実家を行ったり来たりしながら 両親の生活をサポートしつつ、畑仕事で野菜作りや芝の維持に 頑張るつもりです。両親特に父は今年一年永らえてくれるかな…… と思いながらの白銀の故郷でした。 2011年 12月 29日
12月、以前勤務した部隊の創立記念行事出席のため九州・熊本を訪ねて来ました。 ![]() 熊本空港に隣接した西部方面航空隊(高遊原分とん地)の行事。 ここは若い頃と平成3年から5年までの第8飛行隊長として勤務。 当時、九州一円を襲った台風で発生した風倒木災害や雲仙普賢岳の火砕流災害がありました。 《 創立記念行事の様子 》 ![]() ![]() ![]() 創立記念行事の目玉はなんと言っても編隊飛行 ここは一味違ったおもしろい編隊飛行でした。出席者やお客さんの正面から進入 普通は左手から右手に飛行が一般的です。 関係者に聞いてみると、ここの記念行事はいつもは5月下旬、今年は東日本大震災 の災害派遣活動のため延期、この時期に開催されたとのこと。 ここ熊本も12月となると寒い時期、式典も招待者等は格納庫の中に着席、 となると従来の編隊飛行は見えずらい、となります。 たしかにこの日は寒かった。席に配置されていた毛布巻いての出席でした。 苦肉の策で、正面から進入して通過する飛行 これはこれで迫力のある面白い編隊飛行でした。好評でしたね。 ![]() ここは官民共用飛行場 民間機も同時に見れる航空ファン嬉しい飛行場です。 また対戦車ヘリ隊にはAH-64アパッチが装備されています。 最近の軍事情勢を反映して西方重視の体制でしょう。 ![]() また離島が多いことから、方面ヘリ隊に大型輸送ヘリCH=47JAが5機装備 これは大きな輸送能力です。 飛行隊長当時もよく支援を頂き、師団の離島任務やヘリボン作戦の時は助けられました。 当時は輸送ヘリもV-107でしたけどね。 ![]() 祝賀会では多くの懐かしい方々に再会しました。当時の部下だった皆さんも OBになった人、ベテランになって部隊の中心戦力として活躍している人 嬉しいものです。彼らに「隊長・・!」と呼ばれると、 あの頃にタイムスリップしてしまいます。 飛行隊もあの頃はOH-6 8機でしたが、今はUH-1Jが5機配備され 任務遂行能力が格段に向上しています。 さらに西方重視なのか、UH-1JをUH-60JAに換装する構想が あるとか、今の格納庫では格納できずに、さらに拡張が必要とのこと。 嬉しい頭の痛い話があるようでした。くれぐれも安全確保で! ![]() 伊丹空港から熊本空港までの往路は、初めてDHC-8-400機に乗りました。 脚の故障が相次ぐ、やや不人気の機体ですが、高翼で外の景色はよく見え、 なかなか乗り心地のいいフライトでした。 こちらも故障のない安全飛行を祈りたいものです。 ![]() 岐路、熊本空港離陸後の熊本市中心部の景色 今回は家内、娘の3人で訪れました。私は若い頃、ここで家庭を持ちましたから 家内は熊本出身、娘もここで出生。 すでに亡くなった家内の両親のお墓参りもして来ました。 家内も中学の同級生と夕食会、娘の中学の同級生と再会 家族にとっても懐かしい嬉しい熊本の旅でした。 2011、平成23年の今年は京都・桂、伊丹、札幌・丘珠、そして熊本・高遊原の 創立記念行事に出席し、懐かしい方々に再会する機会がありました。 来年も元気に、どこか訪れてみたいものです。 来る新しい年が人命が失われる災害のない、穏やかな年になることを祈っています。 2011年 12月 03日
10月下旬、久し振りに丘珠駐屯地創立記念行事出席のため、懐かしの札幌を訪ねて来ました。 札幌に勤務していたのが平成16年から18年の約2年間、早いもので勤務を終わった 平成18年から、もう5年経ちました。その後、何回か訪れましたが、 いつ来ても懐かしい、そして楽しい街ですね。 それだけ勤務も充実していたし、プライベートも楽しかったと言うことでしょう。 ![]() 《 北 大 構 内 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 久しぶりの北大構内を散歩 クラーク像も変わりなく、行き交う人々を見つめていました。 ポプラ並木も変わらぬ風景を見せていました。 銀杏並木はちょっと早い感じはしましたが、いい色合いをしていました。 ここは札幌観光の定番コース 多くの観光客が黄金色の銀杏並木をを楽しんでいました。 《 白 い 恋 人 パ ー ク 》 ![]() ![]() ![]() ![]() 今回は家族(家内と娘)も一緒でしたので、女性に人気のスポット 白い恋人パークを訪ね、メルヘンの世界を楽しんで来ました。 《 サ ッ ポ ロ ビ ー ル 園 》 ![]() ![]() ![]() ![]() こちらも久し振りのサッポロビール園 ジンギスカンを美味しく味わって来ました。 広いホールでワイワイガヤガヤと語らいながらのジンギスカン いいですね~ この雰囲気は時間を楽しくしてくれます。 玄関の受付で、丘珠で勤務していた時の部下にバッタリ その後、定年退職して、ここで勤務しているとか、懐かしい人に出会いました。 その彼が、すぐ優待券を準備してくれて、10%割引で楽しんで来ました。 ありがとうございました。美味しかった~ 《 大 倉 山 ス キ ー ジ ャ ン プ 場 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここは札幌市内が見渡せる大倉山 ここも好きですね~ 何回も来ていますが、展望台に上がって、下を見下ろすと わずかな時間だけジャンプ選手の気持ちになれますね。 丘珠飛行場近くのドームも見えました。 《 札 幌 市 内 散 策 》 ![]() ![]() 久しぶりにスープカリーを味わって来ました。 野菜タップリで食べごたえあり、汗をかきながらポカポカになりました。 ![]() 《 丘 珠 創 立 記 念 行 事 》 前回出席した時は雨でしたが、今回は晴天とは行きませんでしたが、 まずまずの天気で式典、飛行展示、訓練展示、航空機展示など計画通り開催されました。 でも風が冷たくて、式典で座っていてもちょっと寒かったですね。 主催者が準備してくれた、毛布を腰に巻き、ポッカイロを胸に抱き、 もう冬の丘珠を感じて来ました。でも雪でなくて皆さんホッとしたことでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() 多くの航空ファンもカメラを片手に楽しんでいました。 航空祭は天気で決まりますからね~。 飛行展示があるか、ないか、でお客さんの入りも違ってきます。 ![]() ![]() 式典の編隊飛行 これができるか、できないか、式典のメインイベントです。 ここに勤務していた時は私も行事の実行委員長でしたから、 飛行できる天候を祈っていました。 招待者になると気楽ですね~。 ![]() ![]() ![]() 祝賀会食のスナップ あの頃お世話になった協力会の会長さん まだご健在で会長を続けられていました。ちょっと登壇時に足がふらついて いましたが、お元気そうで何よりです。 ![]() 本部庁舎の2階 勤務当時の執務室もそのままでした。 多くの懐かしい仲間に再会した楽しい記念行事出席でした。 現役の仲間は徐々に少なくなりましたね。あれから5年ですからね。 今年は丘珠と明野の記念行事が重なり、今年は丘珠に来ました。 もし来年も日程が重なると、明野出席になりますか。 身体が動く健康なうちに、あちらこちらの記念行事に顔を出して、 当時の仲間と懇親を深めておきたいですね。 行事終了後、札幌に住む同期生4人が集まってくれて、遠くから来た 私を囲み、語り合って来ました。嬉しかったですね。 4人とも元気に過ごしていました。またの再会を約して、札幌を後にしました。 今回は家族サービスも兼ねた初冬の札幌 今回も楽しい旅でした。 2011年 11月 13日
10月中旬、伊丹駐屯地で行われた中部方面隊創立記念行事に出席して来ました。 天候にも恵まれて、規律と団結に溢れる気持ちのいい行事でした。 多くのお客さんが訪れていました。 《 観 閲 式 》 ![]() ![]() ![]() 一糸乱れぬ統制された行動は見ていて、実に気持ちのいいものです。 昨今の社会では、統制とか規律とかは敬遠されがちですが、国の安全と国民を守る 自衛隊であるからこそ、この凛々しい行動は国民の信頼を得ているのだと思いますね。 《 観 閲 行 進 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 東海・北陸・近畿・中国・四国の2府19県の防衛・警備・災害派遣などを担任する 中部方面隊の各師団・旅団や直轄部隊の代表が、徒歩部隊、車両部隊として、 軽快なマーチの演奏にのり、行進して行きました。 《 観 閲 飛 行 》 ![]() ![]() ![]() 観閲行進の最後は中部方面航空隊と航空学校、海上自衛隊で 構成する13機のヘリコプター編隊による観閲飛行 陸上自衛隊最新鋭の攻撃ヘリのAH-64アパッチも 2機参加して、威風堂々の飛行でした。 《 訓 練 展 示 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 最後に、訓練展示として、「陣地を占領する敵部隊に対する 総合戦闘力を発揮した部隊の攻撃要領」を展示してくれました。 普段、国民の皆さんに触れることのない場面ですから、このような 機会を通じて、展示し、理解してもらうことは必要だと思います。 東日本大震災の災害派遣活動で自衛隊が本当に頼りになる存在である ことが理解されました、日頃から厳しい状況の中、任務遂行能力の 向上に努力しているからこそ、震災においても的確な活動ができた のだと思います。今後も日本の最後の砦として、国民の期待に 答えてくれることを、OBとして祈りたいと思います。 2011年 10月 14日
10月の初め、京都・桂駐屯地の創立記念行事にOBとして、出席して来ました。 桂での勤務を終わって、札幌に転出したのが、平成16年の夏でしたから、 記念行事には7年ぶりの出席でした。 ![]() この日は天気もよく気持ちのいい記念行事でした。 ![]() 桂駐屯地の名物のポプラ並木もきれいな新緑を見せてくれていました。 ![]() 当時、勤務していた本部庁舎 2階にあった執務室もそのままでした。覗いてみましたが、 部屋の内部は少し模様替えしていました。 ![]() 記念式典でグランドに整列した観閲部隊 勤務していた当時は駐屯地行事を計画・実施する部署の長でしたから、 駐屯地を一般開放する秋の創立記念行事、春のさくら祭り、夏の盆踊りは 相当の期間と努力を注いで準備し、開催当日無事終了すると、 ホッと安堵したものでした。 式典終了後は、体育館の中で祝賀会食が行われ、 多くの招待者や駐屯地協力会の方々との懇談がありました。 ![]() 式典会場では式典終了後、装備品展示が行われ、多くの市民の皆さんが 見て回っていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() あの頃一緒に勤務した懐かしい仲間にも再会しましたね。 すでにOBになった方々や現役の皆さんにもお会いし、あの頃に思いを馳せた一日でした。 顔見知りの現役の皆さんは数少なくなりました。もうあれから7年経ちましたからね。 所掌の部署を回ってみましたが、ほとんど入れ替わっていました。 ここでの勤務では苦い思い出もあります。3月末に異動して来ましたが、 5月の駐屯地スポーツ大会のバレーボールに選手で出場して アキレス腱を断裂したことがありました。 転入して、これからと言う時に、2週間も入院して、職場を不在にしたこと 今でも忘れられぬ苦い思い出です。 退院後は庁舎の一角に寝泊まりして、業務をしましたが、 いろいろな面で部下や関係者、駐屯地の部隊や隊員に大きな迷惑をかけてしまいました。 楽しかったことや充実していたことも沢山ありましたが、失敗したことがまず頭を よぎる・・・・そんな桂の訪問でした。 2011年 10月 06日
大山の麓にも秋の季節が到来です。 畑に栗の木がありますが、ボタボタと栗の実が落ちだしています。 ![]() ![]() 毎日のようにいい色をした実が落ちています。 母がその栗を拾い集めては、網の袋に詰めて、親戚の皆さんに送っています。 この栗も大きくて美味しいですから、親戚の皆さんにも好評です。 鳥取・大山の秋を少し感じて頂いているようです。 しばらく栗の収穫の時期が続きそうです。 ![]() ニャンコも元気にしています。 そろそろ身体の毛が伸びてきそうです。 冬になると毛がドンドン伸びて、ふさふさになります。 冬支度なのでしょう。 来年の雪はどうなのでしょう。 今年の大雪にはやられましたからね。 ほどほどの雪でお願いしたいですね。 2011年 09月 24日
今年の夏は大きな台風が日本を襲い、各地に大きな被害が出ました。 震災に続いての被害、被害を受けた方々のことを思うと心が痛みますね。 ここ大山の麓の故郷でもかなりの雨が降りました。幸いここは高原状ですから、 水害の危険性はあまりありません。 風が強いと家屋の周りの樹木が結構高いですから、倒れてこないかと心配しますね。 ![]() 今年の夏は芝刈りに汗を流しました。長く伸びた芝をきれいに刈るときれいです。 ![]() 実家のニャンコも元気にしています。 ニャンコと遊んでいると畑仕事の疲れも癒されますね。 ![]() ![]() ![]() 父も退院後は体調もよく、作業着を着て、両手に杖を付き、 畑に散歩方々出て来て、野菜などが気になるのか、見て回ります。 野菜作りの意欲は旺盛ですね~。有難いことに。 この関心がなくなり、畑に出てこなくなった時が心配ですね。 動き疲れて、芝生の上で横になってると、ニャンコがやって来て、 チョコンとお座りして、休んでいます。 ![]() 母が一休みしていると、ニャンコがやって来て、あまえます。 ニャンコも父と母と遊ぶのが大好きで、両親も嬉しそうに戯れています。 ![]() この日の大山はスッキリした秋の顔をしています。 今年の夏は大山の麓も暑かったですね。やっと涼しくなりました。 秋野菜も元気に育っています。 今年の秋は穏やかな季節であってほしいもです。 2011年 08月 24日
故郷の鳥取・大山(だいせん)の実家に長期滞在して、高齢の両親を助け、 畑作業の日々を過ごしていますが、更新もご無沙汰しましたので、 久々に日頃の近況を報告することにしました。 ![]() 3月から入院していました父(要介護、93歳)もやや体調が回復して、 約5ヶ月にわたる入院生活から、8月に退院しました。 とは言っても、心臓・腎臓機能が根本的に改善した訳けではありませんから、 いつどうなるか、と言う不安は残ります。 父は入院中から畑のことが気になっていましたので、私と母(87歳)で維持して来ました。 これからも父は畑作業は体力的に無理ですから、両手にストックを突きながら見て回る程度でしょう。 これからは私と母で細やかながら野菜作りをしていくことになります。 なるべく父の希望通りにしてやりたいと思っています。 長男でありながら、44年間、実家を離れて好きなことをさせてもらい ましたので、最後の親孝行ですね。 ![]() 以前はいろいろと作物も作っていましたが、ほとんどの畑は芝にしたり、 他人に貸して、少しの野菜などを作っています。 緑の芝生は気持ちがいいですね。 ![]() 今年も栗(大きな丹波栗)は多くの実をつけています。 ![]() 大豆も大きくなっています。大豆で毎年、母が自家製の味噌を仕込んでいます。 我が家の味噌はいつもこの味噌です。ことしも美味しい味噌ができそうです。 ![]() 里芋も順調に成育しています。 この前はじゃがいも(男爵・メークイン)を収穫して、納屋にはいくつもの箱に満載です。 ![]() 柿も順調ですね。5月に摘果(実の間引き)をして、消毒を2回、今月8月に更に2回。 いつも虫に食われているようですから、今年は豊作を期待しています。 ![]() 秋物野菜の苗がでてきました。しばらくの間、大きくして畑に植え替えです。 ![]() ![]() 茄子やトマトも毎日、食卓を飾ってくれます。 ところで、野菜にはカリウムが多く含まれていますが、父は腎臓を患っていますので、 医大病院の先生からは「野菜からは取り過ぎになります。野菜を洗って、カリウムを流してから 食べて下さい」と言われました。 父は身体にいいと美味しい新鮮な野菜を作り、食べてきましたが、先生のこの話を聞いて、 「作った野菜が私の身体によくない影響を与えているとは・・・・」と少々落胆していました。 いや~その気持ち、分かりますね~ 私も複雑な気持ちでした。 ![]() 畑仕事はほぼ毎日、涼しい朝9時頃から11時頃まで、お昼過ぎは暑さ避けて 一休み。涼しくなった夕方、16時頃から19時頃まで。 父が入院中は昼過ぎから病院通いでしたね。 麦わら帽子にサングラス、腰にタオルと蚊取り線香をぶら下げて。 これがいつものスタイル。 耕運機や草刈り機、消毒や除草剤を撒く時はカッパのズボンを穿きますから ズボンまで汗でグッショリ。おかげで体型もスリムなままです。 作業の後はシャワーが欠かせません。その後が気持ちいい。 雨の日は畑仕事も一休み。時々、雨の日がないとちょっと疲れが残ります。 ![]() この子が我が家のニャンコ よく甘えに来ます。「かまってちょうだ~い ペロペロ ニャン~」 ニャンコを抱いてると、癒されますね。 ![]() ![]() 畑にもよくついて来ますが、納屋の一角で居眠りも。かわいいやつです。 ![]() 大山を眺め、日本海・島根半島を眺めて、畑仕事。 時にはいろいろ所用もありますので、伊丹の自宅へ帰って気分転換。 大山から伊丹まで、車で4~5時間(休憩含み) 家族が一緒の時は交代で運転ですが、一人の時はゆっくり安全運転です。 菅政権もいよいよ終わり、あの人は一体何を残してくれたのでしょう。 浮かんで来ませんね。 菅さんがある席でニタニタ顔でVサインをする姿を見て、「被災者の気持ちがわからない 人なんだな~」と、あきらめと落胆。寂しいことです。 宮城・名取に被災した古くからの友人がいますが、「国難の時に頼りになるのは政府・国だと 思っていたけど、こんなに頼りにならないとは・・・・・」 返す言葉がありませんでした。 次の政権が本当に国民を守る、国民のための政権であってほしいと願うのみです。 明るい未来が来ることを祈りつつ、畑仕事に精出そう。 2011年 04月 16日
今年に入り、故郷の実家に帰省する機会が増えています。 現在も帰省中です。高齢の父の体調もすぐれず、入院中です。 母一人で畑作業や父の病院通いはとても無理ですから、 両親の援助で長期滞在しているところです。 実家でも今年の冬は今までにないほどの大雪でした。 ビニールハウスが二つ、潰れてしまいました。最近、やっとひとつ撤去したところです。 このようなことから各地を巡る散策の旅はしばらくお預けになっています。 この紀行の更新もしばらくお休みすることに致します。 《 4月上旬の雪を残した大山 》 ![]() 父の具合が落ち着き、散策の時間が取れるようになりましたら 更新することと致します。 東日本では大震災で多くの方々が避難先でご苦労されています。 防災部署に身を置いたものとしてはニュースを見ながら 政府の対応にもっと早く的確に対応が出来ないものかと いらいらしているのも私だけではないでしょう。 阪神淡路大震災も経験した私にとっては、いままでの地震、水害の教訓で 避難された方への食料や水が不足することは分かっていたことです。 もっと先行的に送り込むことが必要だと思いますね。 菅総理も発災翌日12日の会見で「食料や水を送ることに万全を尽くす・・」と 表明しながら、実行されずです。あの人は以前から言うだけですけど・・ まず食料を届ける、腹一杯になると避難された皆さんも安心するんです。 10日も経って、まだ「一日おにぎり1コとババナ半分でした」と言う 声を聞くとたまりません。 世界の経済大国の日本 国のリーダーが送ると決断したらできるんです。 あの人は果敢に決断して実行しないんですよね・・・ 私が自治体勤務していた時も内閣府防災担当や総務省消防庁防災部署の 方々が災害のヒヤリングにかなり来て、その教訓や課題を聞き取って帰りました。 しかし今回の対応を見ていると、その教訓などがまったく活かされていない 印象を持ちます。これだけ広範囲・大規模の災害になると 地方自治体も機能を失います、それをバックアップするのが 政府・国の機関なのですが・・・動きが鈍いですね。 今の私には義援金くらいしかできませんが、被災された皆さんが一日も早く 生活環境が元に戻ることをお祈りしています。 2011年 02月 13日
1月下旬、地元伊丹市の地震を想定した総合防災訓練が行われました。 伊丹市の防災訓練は初めて見学してみましたが、いろいろ感ずることがありました。 ![]() 最初に感じたのは訓練開始前に、来賓者の紹介をしていたこと。 訓練と言うより、行事化している感じがしました。 私が勤務していた自治体では来賓者の紹介は一切なしでした。 訓練に徹したやり方をしていました。 私たちは訓練開始前に、訓練参加者全員を集め、訓練の狙いや安全に関する 注意事項などを説明して、訓練に関する意志の統一を図った後に訓練を開始していました。 ここではそのようなことはなされていませんでした。 ![]() ![]() 災害発生時の各種救助・救出・火災消火、救援活動を、国や県、自衛隊、民間団体など関係機関と 連携して、迅速に行うことは極めて重要なことです。 これは毎年の訓練で反復しながら訓練して、その対応要領に習熟しておく必要があります。 ![]() ![]() ![]() そして一番奇異に感じたのは「対策本部」の訓練がなされていなかったことです。 場内でのアナウンスには「対策本部が設置されました」と放送もありました。 しかし市長以下の対策本部員は本部席の椅子に座ったまま。 要するに「設置したつもり訓練」でした。 私が勤務した自治体では「災害対策本部の対応」を重視して訓練していました。 災害時、本部は被害状況などの情報、対応方針の決定やそれの基づく対応指示などで錯綜を極めます。 本部の対応成否が人命を救うか、被害を最小限にできるかを左右します。 訓練の時にこそ、災害対策本部の指揮・対応要領を訓練すべきです。 その訓練の場面でミスも出る、判断を間違う、それでいいんです。 錯綜した状況のなかで、迷いながら訓練することが、その後の反省や教訓を出すことになる、 また状況に応じた訓練の場数を踏み、本番で役立つことになるんです。 またそれを市民の皆さんが本部の本番さながらの活動を見ることにより、 防災意識の高まり、市の訓練や備えへの熱意を感じることにつながります。 ![]() 多くの市民の皆さんの見学に来ていました。 その後ろには国、県、民間団体、防災機関などがブースを設置して、 関係資料の配布や展示説明、防災用品の紹介など市民の備えの促進に寄与していました。 ![]() 訓練終了後の市長の挨拶では「阪神淡路大震災を経験して、訓練や備えの充実を・・・・」 と話されていました。経験したからこそ、対策本部の活動の重要性を理解されているのだと思うのですが。 別な時に対策本部の対応を図上訓練などで訓練する機会を作っているのであればいいのですが。 対策本部の訓練を見てみたいと、市の広報紙やホームページをよく見ていますが、 まだ目にしていませんね。 「対策本部の訓練がない、このような防災訓練で本番は大丈夫だろうか・・・」と ちょっと不安を感じながら、訓練会場を後にした防災訓練の見学でした。 2011年 01月 29日
12月のある日、大阪中之島公園周辺で開催されていた「光のルネッサンス」を ブラリと散歩してみました。 寒い夜でしたが、きれいな展示をみながら散歩していると 寒さもひと時忘れさせてくれます。 《 光のルネッサンス(中之島公園周辺)》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 《 御堂筋イルミネーション 》 ![]() 中之島公園から少し足を延ばして、御堂筋イルミネーションを散歩 ![]() 冬にきれいな光やイルミネーションはよく似合います。 寒くても心がホッと温かくなるのは不思議です。 この夜は梅田~中之島公園周辺~御堂筋~梅田をグルリと散歩 結構歩いた明かりを巡る散歩でした。 2011年 01月 07日
11月中旬、古都京都の紅葉を久し振りに楽しんで来ました。 以前、京都桂に住んでいた頃は四季折々、散策を楽しんだものでした。 今回は大徳寺の高桐院、哲学の道、そして永観堂を回り、それぞれの紅葉を楽しんで来ました。 この日は天気も良く、多くの紅葉見物の観光客でどこも一杯の人でした。 《 大 徳 寺 高 桐 院 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 《 哲 学 の 道 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 《 永 観 堂 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ほぼ一日、バスに乗り移動したり、歩いたりで、この日の散策は約2万歩。 大徳寺高桐院は初めて来てみました。哲学の道と永観堂は以前にも来ましたが久し振りの紅葉でした。 京都の寺社は紅葉がよく似合います。 身体にも心にも、いい紅葉見物の1日でした。 2010年 11月 25日
11月の初め久し振りに伊勢・明野駐屯地の創立記念行事(航空祭)を楽しんで来ました。 この日は朝から爽やかな晴天 早朝、伊丹を出て、近鉄で明野に向かいました。 松阪で近鉄特急を普通電車に乗換ましたが、満員でした。 よく見るとカメラ片手に航空祭に行く人達ばかり。明野でほとんど全員降りて、明野駐屯地へ。 《 編 隊 飛 行 》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 《 明野レインボーチームによる展示飛行 》 ![]() ![]() ![]() ![]() OH-6D 4機、OH-1、AH-1S,AH-64 各1機 計7機の混成チーム OH-6DとOH-1、AH-1S,AH-64が交代でそれぞれの マニューバーパホーマンスを見せてくれました。 私が勤務していた頃の航空祭では、OH-6D4機の編隊は上空でカラースモークを 流していましたが、今はスモークなしでした。いろいろ事情が変わったのでしょう。 各機の操縦士は航空学校第2教育部の操縦教官で編成しています。 あの頃も航空祭が近づくにつれ、教育が終わった夕方に練習を重ねたものでした。 地上の指揮所の屋上に出て、無線で指導していたことが思い出されました。 《 空中消火の展示飛行 》 ![]() ![]() 山林火災では消火の威力を発揮するヘリからの空中消火 毎年、全国のどこかで山林火災が発生しています。その際、自衛隊に災害派遣要請が あれば、ヘリを派遣して、迅速に消火して被害を最小限に抑えています。 特に大型輸送ヘリのCH-47Jは約6tの水を投下できますから、威力は絶大です。 《 地上展示の各ヘリコプター 》 天気も良く、多くの航空ファンなどが展示飛行や展示されてるヘリを楽しんでいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここ明野には平成12年~14年まで操縦教育を担当する部署の責任者として、勤務以来 記念行事への出席は初めてでした。祝賀会などではあの頃一緒に勤務した仲間や 先輩や後輩など多くの懐かしい人達に再会することがでしました。 情熱を傾けて勤務した仕事の仲間は本当にいつ出会っても嬉しいものです。 今後も引き続き、国際情勢不安定な昨今、出動する機会がないことを 祈りますが、万が一、国の安全と国民を脅かす脅威が生起した時には 日頃、鍛えた実力で任務を遂行してほしいと思います。 その時に真に役立つ精神力、使命感に溢れた逞しい航空戦士の育成に 邁進してもらいたいものです。くれぐれも航空安全に気を付けて・・・ と、あらためて祈りながら明野を後にした航空祭でした。 2010年 11月 07日
10月上旬、久し振りに札幌・丘珠を訪ねて来ました。 この日は平成16年から18年まで、約2年間勤務した航空隊の創立記念行事(航空祭)に 出席して来ました。転出以来、4年半振りの訪問でした。 札幌の着いた翌日は久し振りに札幌市内を散歩してみました。 《 赤レンガの旧道庁 》 ![]() ![]() 《 北大構内のクラーク像 》 ![]() 《 北大構内のポプラ並木 》 ![]() ![]() 《 北大構内の銀杏並木 》 ![]() ![]() ![]() 銀杏並木の色付きも少し時期が早かったですね。 黄金色を見せてくれるのも今しばらくの感じでした。 ![]() ![]() 《 創立記念行事(航空祭)の丘珠駐屯地 》 残念ながら前日の夜から雨の肌寒い天気でした。 いつもだと航空ファンなどで賑わう航空祭ですが、訪れたお客さんやや少なかったようです。 ![]() ![]() ![]() 約2年間勤務した北部方面航空隊本部の庁舎 正面玄関の2階左手の部屋が執務室でしたが、部屋の中もあの頃とほとんど変わっていませんでした。 本部の中にはあの頃一緒に勤務した仲間はもうほとんどいませんでしたね。 駐屯地の中には懐かしい人が一杯でした。 ここ丘珠は札幌市内でも豪雪地帯でした。 毎朝の除雪が懐かしいですね。 ![]() ![]() 晴天時は式典は管制塔の前で行いますが、この日は雨。 式典は私達招待者は格納庫の中、整列した部隊は格納庫の外、隊員たちは雨に濡れて、寒そうでした。 お客さんを優先しての行事の実施、当然と言えばそうですが、申し訳ないような気持ちでした。 ![]() あの頃にはまだなかった空域管制用のターミナルレーダー(ラプコン)のドームが設置されていました。 当時は中央で予算が査定されたので、どこに設置するか、など細部計画を策定中でしたね。 レーダー管制されていますから、空域の安全は格段に向上したことでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 荒天のため編隊飛行や飛行展示は残念ながら取り止めとなりました。 航空機の地上展示は行われましたが、見る人も寒そうでした。 格納庫の中のイベントには多くのお客さんが集まっていました。 ![]() 駐屯地の近くにある当時勤務していた時の宿舎 階段上がった2階の左手の部屋 「懐かしい~」でした。 あの頃と変わっていませんでしたね。 降雪時は1階の窓が隠れるほどの雪がありました。 部屋の窓などは二重のサッシ。 部屋の中にはストーブの煙突が取り付けられるようになっていました。 このような宿舎は初めてでしたね。 煙突付きのストーブを知人から譲り受け、外はブルブル、部屋の中はポカポカの冬を過ごしました。 頂いたストーブは後任者にそのまま置いて、離任しました。 懐かしい冬の生活が思い出されます。スタッドレスタイヤや車の冬季用バッテリーに換えたのもここでした。 平成18年3月末に、ここの勤務を終えて、離任しましたが、4年半振りの訪問でした。 懐かしい人にも再会し、あの頃、単身生活ながら仕事もプライベートも充実していた 札幌勤務当時に、タイムスリップしたような札幌・丘珠の旅でした・・・・ 2010年 10月 24日
久し振りの北海道の旅、3日目は、朝、帯広の十勝川温泉を発ち、 三国峠~旭川・旭山動物園~美瑛・北星の丘~キロロリゾート(泊)の行程でした。 《 三 国 峠 》 ![]() ![]() この日も天気がよく、山々や広葉樹林帯はきれいな姿を見せてくれました。 紅葉にはまだすこし早かったですね。 《 旭 山 動 物 園 》 ![]() ![]() ![]() 旭山動物園は初めて訪れてみました。 今は全国的にすっかり有名になりましたが、札幌に勤務していた頃には あまり話題に上った記憶がありませんが、地方の動物園が人気スポットに なることはいいことですね。この日も多くの観光客でした。 《 美 瑛 の 丘 》 ![]() ![]() ![]() 旭岳や十勝岳の大雪山山系の山々もきれいに見えていました。 いつもきれいな色を見せてくれる小麦畑はまだ黄金色にはなっていませんでした。 《 キ ロ ロ リ ゾ ー ト 》 ![]() ![]() ![]() この日の泊まりはキロロリゾート 冬はスキーで賑わうところ 札幌にいた頃にはスキーで何度も訪れました。 一番長いゲレンデは4Kmとたっぷり滑りがいのあるところでした。 上からノンストップで、下まで降りてくると、膝と大腿筋がビクビクしていたのを思い出します。 天候が悪い時は山頂が雲の中で、オープンしているゲレンデが途中まで、 なんてこともよくありました。 《 小 樽 》 ![]() ![]() 4日目の最終日はキロロ~小樽散策~千歳空港~関西空港着 平成16年から18年までのわずか2年間の札幌滞在でしたが、 その間、道内のあちらこちらを旅し、今回行くところ行くところ懐かしさを感じた 北の大地を巡る旅でした。 2010年 10月 13日
関西ではまだ厳しい残暑が残る9月上旬、4年振りに懐かしの北海道を旅して来ました。 3泊4日で道東を主体に回ってきました。 この4日間とも好天に恵まれ、平均気温20度前後の気持ちのいい旅でした。 道東は17年の夏に5日間かけてドライブ旅行して以来、5年振りでした。 《 層雲峡・銀河の滝》 ![]() 《 層雲峡・銀河の滝》 ![]() 《 遠軽・太陽の丘 コスモス園 》 ![]() ![]() 《 網走・能取湖 》 ![]() ![]() 《 網走・海鮮市場 》 ![]() 休憩した海岸沿いのドライブイン 看板を背にして写真を取る観光客が多くいましたが、風雨にさらされて、 看板がかなりくたびれていました。 《 美 幌 峠 》 ![]() ![]() ![]() ![]() この日も美幌峠からの眺めはきれいでした。 屈斜路湖も穏やかな姿を見せてくれました。 《 摩 周 湖 》 ![]() ![]() 霧の摩周湖も神秘的なきれいな姿を見せてくれました。 1日目は昼頃、千歳空港に着き、道央自動車道~層雲峡銀河・流星~層雲峡温泉(宿泊)でした。 2日目は層雲峡温泉~遠軽 コスモス園~網走 能取湖~網走(昼食休憩)~美幌峠~摩周湖 ~帯広 十勝川温泉(宿泊)でした。 久し振りの道東、札幌勤務していた時に回ったところでしたが、 広々とした大地を懐かしく楽しんだ旅でした。(続く) 2010年 09月 08日
9月に入りましたが、まだまだ残暑が厳しいですね。 台風も通過しましたから、涼しい風が吹き出すでしょう。 8月、夏の大山の景色です。故郷大山の今年の夏は暑かったですね。 ![]() 畑の作業などは日中の暑さが厳しいので、涼しい朝方と夕方だけにして、 日中は家の中で静かにしていました。 今年の夏はどこかに出掛けることもなく、朝夕、大山を眺めながら 麦わら帽子を被り、タオルを首に巻いて、汗を拭きふき 野菜と土に親しんでいました。 涼しい秋の到来が待ち遠しいですね。 2010年 08月 25日
仙台の街中を久し振りに散歩してみました。 仙台には伊勢、札幌や豊岡に勤務していた時にも出張で何回か来ていました。 《 仙 台 ( 青 葉 ) 城 址 》 ![]() ![]() ![]() 《 仙台市街地から見た景色 》 ![]() 霞目飛行場方向の眺め 市街地の切れ目付近に飛行場は位置している。 ![]() 仙台城址方向の眺め 《 機中からの眺め 》 ![]() 往路での中部空港セントレア ![]() 復路での富士山 今回は雲が多くて、すっきりとした富士山は見えませんでした。 ![]() 復路での伊勢にある航空学校の明野飛行場 仙台市内を散歩していたこの日は夏まつりで多くのイベントが開催されて、 東北各地からも出店などが出ており、楽しみながら散歩して来ました。 夕方からイベントの一つだった「水森かおり」のミニライブにも立ち寄ってきました。 彼女の演歌は好きで、カラオケでもよく歌いますが、近くで聴くのは初めてでしたが、 旅情たっぷりの歌とトークをしばし味わってきました。 「安芸の宮島、ひとり薩摩路、五能線、鳥取砂丘、 そして松島紀行」 本物を聴いたら、ますます好きになりましたね。 そんな懐かしの地を回った仙台の旅でした・・・・・ 2010年 08月 01日
7月、以前勤務していた思い出の仙台を訪ねて来ました。 ここ仙台には2回、勤務しましたが、かなり以前になります。 ただ、その後、出張などで何回となく訪れましたが、今回、 勤務後初めて訪れた思い出の場所もありました。 《 霞目飛行場の多用途ヘリコプター UH-1J 》 ![]() 《 霞 目 駐 屯 地 》 ![]() ![]() ここ霞目駐屯地に勤務していたのは昭和57年~61年の二年間でした。 東京市ヶ谷での二年間の学校を卒業し、家族とともに赴任しましたが、 初めての東北勤務で、杜の都仙台での生活も楽しく過ごしました。 久し振りに訪れましたが、駐屯地がきれいになって、顕彰碑や国旗掲揚塔ができていました。 ![]() ![]() 勤務していた航空隊本部の庁舎 あの頃と変わらず同じところにありました。 ここでは航空隊本部の第3科(防衛・警備・運用・訓練を所掌)で 訓練主務者として、勤務しました。 《 霞 目 飛 行 場 》 ![]() ![]() ![]() ![]() 飛行場地区には管制塔や格納庫等が配置され、航空隊は防衛任務や災害派遣任務に 即応できるよう態勢を維持するとともに、訓練に励んでいました。 東北6県内の災害発生時には速やかに飛行部隊に派遣を指示する等人命救助や被害を 最小限にするための活動に努めていました。 《 仙台空港に隣接した、以前航空学校岩沼分校があった地区 》 ![]() ![]() 昭和59年の勤務以前の昭和47年から48年にかけて、1年間、仙台空港に 隣接した地区に航空学校岩沼分校があり、学生として在学していました。 今はその学校も宇都宮に移設され、わずかにその形跡が残されていました。 ここには固定翼の操縦課程があり、操縦学生として初めて固定翼の飛行機の 操縦を学び航空操縦士としての人生がスタートした原点となる場所です。 三角型の格納庫と左隣の塔のある建物は学校にあった建物のように思います。 ![]() その跡地を訪ねてみましたが、学校の正門の門柱が、その場所に残されていました。 当時、二十歳過ぎで、パイロットのウイングマークを取得すするため必死になりながら 同期生と励ましあいながら知識・技能の習得に努めた、あの頃がなつかしく浮かんで来ました。 この門柱から奥に入ってみましたが、三角型の格納庫地区には行けませんでした。 ![]() ![]() 学んでいた校舎などがあったと思われるところには、海上保安庁の学校と航空基地が 配置されていました。学校が移転してから、その跡地を海上保安庁が使用したのでしょう。 ![]() その隣には航空大学校の仙台分校が、当時もありましたが、 きれいな校舎・施設となっていました。 当時はこの付近に日本航空の自社養成施設がありましたが、もうその姿はありませんでした。 以前勤務していた霞目駐屯地の航空隊では、もう当時の仲間には出会えませんでした。 24年前ですからね。でも知り合いが勤務していましたので、久々に再会できました。 航空学校の跡地を訪れたのは、約37年振りでした。 門柱を見た時は「あ~、ここだ~」と思わず声が出てしまいました。懐かしかったですね。 今回も自分自身のルーツを探る懐かしい旅となりました。 (続く) 2010年 07月 11日
先日、以前勤務した千葉・木更津を訪ねて来ました。 その後、1~2回、出張で短時間の訪問はありましたが、実質的には10年振りの訪問でした。 ![]() 広々とした木更津飛行場 懐かし~ 東京湾に面した海岸近くに広々とした飛行場が配置されています。 ここ木更津飛行場には大型輸送ヘリコプターCH-47(チヌーク)などを装備する 第1ヘリコプター団と対戦車ヘリコプターAH-1S(コブラ)を装備する 第4対戦車ヘリコプター隊が所在しています。 《 第4対戦車ヘリコプター隊本部庁舎 》 ![]() 航空火力戦闘部隊である第4対戦車ヘリコプター隊長として、 平成9年から12年までの3年間、勤務しました。 本部庁舎を久し振りに訪ねましたが、玄関にはあの頃とは違う新しい部隊表札が 掲げられていました。 《 格 納 庫 》 ![]() ![]() ![]() 当日は飛行訓練も行われていましたが、格納庫内には数機が翼を休めていました。 8月下旬の富士総合火力演習参加に備え、武装システムなどの 点検整備も行われていました。 ![]() ![]() 格納庫の左右の扉にはあの頃と同じように仮想した敵部隊戦車などのシルエットが 描かれていました。常に敵を意識し、AHは機会を求めて飛行場内でホバリングしながら 目標照準訓練を行っていました。 《 新しく装備された観測ヘリコプターOH-1 》 ![]() ![]() 勤務していた当時の観測ヘリコプターはOH-6Dでしたが、最新鋭のOH-1に換装されていました。 夜間の偵察可能な赤外線の光学偵察機材が搭載され、またエンジンも双発になり、 従来のOH-6Dに比較すると格段と観測偵察能力や安全性などが向上し、 任務遂行能力は高くなったと思いますね。 ![]() ![]() 当日、研修者に対する展示のための飛行場内での単機のデモフライトの予行を行っていました。 ヘリ隊長の現場指導に同行させてもらいましたが、あの頃も自衛隊各駐屯地の記念行事や 飛行場の航空祭には必ずのように参加し、デモフライトして、観客の皆さまに性能や真姿の 一旦を紹介していました。 豊岡に勤務していた時も但馬空港フェステバルにはAHー1SとOH-6Dが参加してくれて、 多くの観客の前でデモフライトも披露してくれました。 《 対戦車ヘリコプター隊のエプロン(係留地域)の様子 》 ![]() ![]() ![]() 対戦車ヘリコプター隊は隊員が約200名、航空機が対戦車ヘリ AH-1Sが16機 観測ヘリコプター OH-6Dが4機の計20機を装備し、方面隊唯一の 航空火力戦闘部隊として任務を遂行していました。 第4対戦車ヘリコプター隊は平成4年に新編されたまだ新しい部隊でした。 私が第3代の隊長 現在の隊長が第8代 ヘリ隊長室には今までの隊長の 写真が掲げられていましたが、これから歴史を積み上げて行ってくれることでしょう。 日々の任務遂行や訓練に当たっては航空安全はもとより、 AHは対戦車ミサイル(TOW)、空対地ロケット(ASR)や20mm機関砲(GUN)の武装と 弾薬を扱いましたから安全確保については特に努力して来たものでした。 幸い隊員全員の努力で無事故で3年間の職務を果たし得たのは有難いことでした。 今振り返っても、当時、全員の任務遂行と航空安全の確保に対するベクトルを 一つにすることに指揮官として相当の努力を注いだように思います。 毎年の目標を設定し、部隊一丸となり一つ一つ達成して行ったことが思い出されます。 富士総合火力演習、中央観閲式など、最後の年は米国での射撃訓練 これが隊長としての集大成の目標でした。 国内ではできない対戦車ミサイル(TOW)と空対地ロケット(ASR)の最大射程の射撃を 私自身も初めて体験し、AH-1Sの最大限の能力発揮し、運用の自信を深めたものでした。 《 第1ヘリコプター団と木更津管制塔の様子 》 ![]() ![]() ヘリコプタ-団の格納庫はかなり老朽化したものが当時はありましたが、 新しい格納庫の新設や建替えによりきれいに整備されていました。 国際緊急援助隊や全国の災害発生時の派遣など多様な任務への対応で 施設も整備が進んでいるようです。 今回も懐かしい部隊を訪ねて来ましたが、その部隊の一時期をともに過ごした仲間にも 再会することができました。 そして熊本でも、伊勢でも、そしてここ木更津でもその軌跡が写真とともに 残されていることに、あらためて嬉しさを感じて来ました。 以前から旧知の現在のヘリ隊長に「安全確実な任務遂行と航空安念の確保」を 激励して、部隊を後にした嬉しい訪問でした・・・・・・ |
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